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【39】:何が良いのか分からなく…~卵巣がん再発 でも私は生きる~

私なりに卵巣がんを再発しないようにと、良いと思われることはいろいろ実践して来ました。

しかし現実は徐々に腫瘍マーカーが上がって来てました。


そんな私を見て主人は、『腫瘍マーカーが100を超えたら薬(抗がん剤)で治療しよう』と言いましたが 私はまだ、自分の免疫力を上げる事を考え、抗がん剤はしたくありませんでした。

そんな私の考えに、主人と喧嘩をする事もしばしばありました。

食育の先生も免疫を上げて行こうと、いろいろアドバイスをしてくれました。



そんなある日、主人が
『薬(抗がん剤)をしないなら血液を培養して戻す免疫療法をやろう。』と言ってくれました。


その当時の私は、食事療法やサプリ(ビタミン剤)を飲む事、
さらに週2回病院に通い代替療法のビタミンCの点滴治療
またリンパの流れを良くするため、レーザーで刺激する治療を受けたりと
ただでさえ、お金がかかっていたのに、その上更に免疫療法を受けるとなると
気が引ける思いも少なからず感じていました。




2010年(平成22年)9月のある日、身内で集まる事がありました。


お義兄さんに『生きたかったら遠回りしないで薬(抗がん剤)で治せ、そしてキチンと病院に行け。』と言われました。

『結果(効果)が出てないと言う事は今している事は合ってないんじゃないか?』
『今までの事を考えるとあなた(私)のワガママにも感じる。』と言われました。



実際、私は自分でも良く分からない、何が良いのか分からなくなっていました。


《あれもこれも私は何をしているのだろう・・・。》と思うと、泣いてしまいました。



その頃、腫瘍マーカーは【200】を超えてしまいました。





次へ進む   【40】: 抗がん剤治療再開




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