TOPページ > 末期がん(肝臓がん) …【SiteMap】 > 末期がん(肝臓がん)闘病記 173
末期がん(肝臓がん)闘病記 173
173:食事は何より重要だ思う
~この闘病記の内容は2005年(平成17年)5月頃の出来事です。~
5月の連休が間近にせまっていた。
子供達も孫を連れて我が家に遊びに来る予定になっていた。
私はその頃テレビでたまたま映っていたイチゴ狩りに目が留まり
退院したらイチゴ狩りに連れて行ってやろうと考えていた。
しかしこのまま入院が長引けばイチゴ狩りはおろか、
何処にも連れて行ってやることが出来ない。
私は5月の連休に焦点を合わせ、退院出来るように出来る限り体調を整えていた。
しかし味覚の変化の症状だけは全く良くなる気配が無かった。
普通でも病院食は旨くないのに
更に輪をかけるように一層まずく感じるようになった。
私は妻に頼んでしょうゆやソース、ケチャップなどいろいろな調味料を持ってきてもらっていた。
これをおかずにかけ、何とか工夫して食べる努力をしてみたが
完食までは程遠い状態だった。
看護士さんへの食後の報告もこの頃はいつも「半分くらい」と答えていた。
その代わり、1階の売店には毎日のように通っていた。
すっかり【甘党】の味覚に変わってしまった私は
チョコレートや、かりん糖、せんべいなどを好んで食べていた。
特にこの頃のお気に入りは
『ぶどうパン』でこの『ぶどうパン』は数に限りがあって
すぐに売切れてしまうので私は売店の方に特別に予約してもらっていた。
こういう場合、顔が利くのはありがたかった(笑)。
私と同じ病気の方やその家族の方達の中には食べる物に気を使って
病院食以外は食べないし食べてはいけないと言う程までに考えている方が多かったように思うが
私は≪生きるために食べたい物を食べたいだけ食べる≫と言うスタンスで
闘病生活を送っていた。
私は思うが人間は『食べてナンボ』だと思う。
食べ物を食べる事で体力が付き、元気な身体になっていくのだと思う。
しかも私の場合は末期がん(肝臓がん)だ。
食べなければ体力が無くなり免疫力が下がって、
がんがまた勢いづいてくる危険があるのだ。
病院食が食べられないからと言って
そのまま自分を『放置』する事など到底出来なかった。
それが良いとか悪いとか私には関係が無かった。。。
そんな中で私の体重は増え始めていた。
40キロ前後をウロウロしていたのが一気に44キロにまで増えていたのだ。
しかし、この食生活を元気な時にしていたらあっという間に『メタボリック』だろう(笑)。。。
次の末期がん(肝臓がん)闘病記に進む
⇒174:病院でのゴールデンウィーク| 私は末期がんを家族の支えと自分自身の直感を信じ続け、乗り越えて来ました。 同じ境遇の方々に『生きる勇気と希望』を感じて頂けたら幸いに思います。 私の経験してきた闘病生活などのご質問やご感想等、何でも投げかけて下さい。 メールを頂ければ可能な限りご回答致します。 ◆メールはこちらです。◆ |
|---|
| 《《携帯メールは設定確認を!》》 多くの方々からご感想メールを頂き、ありがとうございます。 とても嬉しく思っております。 メール頂いた全ての方に出来る限りお返事させて頂いているのですが、 戻って来てしまう事も多々あります。 特に、携帯メールから送って頂いた方に多いようです。 私はPCメールから返信してますので、今一度設定確認の程、お願い申し上げます。 設定方法は下記の検索で調べてみて下さい。 ⇒pcメール 拒否 解除 数日お時間を頂く事もございますが、出来る限りお返事させて頂いております! ◆メールはこちらです。◆ |
|---|
関連する内容
末期がん(肝臓がん)闘病記 最終章
末期がん(肝臓がん)闘病記 最終章 ~命【いのち】の重み~ 私は今とても気に入っている曲があります。 小田和正
末期がん(肝臓がん)闘病記 235
235:セリを採る妻を見ながら思い出す ~がん を克服し人生の再出発を誓う~ ~この闘病記の内容は2006年(平
末期がん(肝臓がん)闘病記 234
234:セリを採る妻を見ながら思い出す ~そして健康食品に全てを賭ける~ ~この闘病記の内容は2006年(平成1
末期がん(肝臓がん)闘病記 233
233:セリを採る妻を見ながら思い出す ~生体肝移植を考えた妻・・・~ ~この闘病記の内容は2006年(平成18
末期がん(肝臓がん)闘病記 232
232:セリを採る妻を見ながら思い出す ~肝臓がん告知と心の葛藤~ ~この闘病記の内容は2006年(平成18年)
末期がん(肝臓がん)闘病記 231
231:セリを採る妻を見ながら思い出す ~身体の異変、そして肝臓がんの告知~ ~この闘病記の内容は2006年(平
末期がん(肝臓がん)闘病記 230
230:ふと2年ぶりにセリ採りへ ~この闘病記の内容は2006年(平成18年)2月頃の出来事です。~ 長かった闘病生活だ

